正統派のVPN構築
同時に海外業務からも全面撤退、自己資本比率も国際業務を行なう「八%基準」から、国内業務に限定する「四%基準」に切り替えた(図3)そして合併後はHを基盤とした〃大規模地銀〃として生き残ることを目指したしかしトップ同士で決断した合併も、交渉が始まるにつれ次第に不協和音が大きくなっていった。
道銀側が「T銀の不良債権は公表よりも多い」と主張、合併に難色を示し始めたのである。
道銀側トップは同行内の反対を押さえ切れず、結局T銀は九月十二日、九八年四月予定の合併延期に追い込まれたのである(図表4)・同行は善後策として、生保・銀行などの既存の株主から一千五百億円の増資・人員削減・店舗統廃合のリストラ策を打ち出したが、そうした対策ではもはや「破談ショック」を押さえることはできなかったのである(図表5)。
延期発表直後から法人・個人の預金解約に加え、株式市場でも一段の売り圧力が強まり、日々の資金のやりとりをする短期金融市場でも資金を確保するのが難しくなっていった。
預金残高は、市場で経営不安説が流れた九七年二月以降、確実に前年同月比一○%前後で減少していった。
地盤であるHでは微減であったものの、本州各店舗からは二○%以上の大幅な流出が続いた。
そしてH銀行との合併構想が事実上ご破算になった九月半ば以降は、資金繰りが一段と逼迫していった。
それまでは、一?二週間前にはついていた資金繰りのメドは、前日や当日の朝にならないとつかないほど悪化していったのである。
そして、そこにきてのS証券の倒産であった。
金融システムに対する不安がモロにT銀に押し寄せる結果となった。
S証券の事実上の倒産が発表された翌日の十一月四日、コール市場から必要額を調達するメドが立たず、ひそかに道当局に協力を要請。
協力を要請された道当局は急渥、全信連から五百億円を借り入れてT銀に預金、窮地をしのいだのであった。
しかし市場に、主幹事のY証券の経営悪化が流れ始める十四日には、それまで数百億円の資金を調達してきたY証券からの調達が不可能になり、最終的に市場からの調達ができずじまいとなったのである。
危うく資金ショートにはならなかったものの、日銀の準備金積み上げ最終日であったにもかかわらず、百億円を超す積み不足となった。
T銀の資金繰りが予想を上回って急激に悪化に転じたのは、政府が機動的に景気対策を打ち出すことができず、日本経済への信任が急速に低下したことが背景にある。
株価の急落は銀行の体力低下に直結し、金融不安への連想を誘発し、多額の不良債権を抱えるT銀はその象徴としてクローズアップされ、「市場から締め出される」格好となった。
その意味からも今回のT銀の倒産は、経営不振に陥った金融機関の退場を迫る〃市場の力〃が主導権を握った最初の事例であったと言える。
兵庫・太平洋・阪和・京都共栄と九五年以来四行が〃破綻処理〃されたが、いずれも当局が債務超過を確認したうえで手を付けた案件ばかりである。
しかし今回のT銀の「資金繰り破綻」は、銀行の破綻処理が政府主導から市場主導へと完全に移ってしまったことを証明した。
景況感や企業収益の後退にともなう株価の下落が信用システム不安を増幅し、市場から「T銀破綻」を催促させられたのである。
実体経済の悪さはゼネコンの財務状況の悪化や個人破産の累増を招き、銀行の不良債権増加となって信用システムの不信感を増大させていったのである。
今回のT銀倒産によって大蔵省は、ついに「大手二十行は潰さない」とする〃鉄の徒〃を放棄したのである。
まさに「日本の信用システム」に対する新たな時代の到来であった。
日本には日銀特融という制度がある。
資金繰りが行き詰まった金融機関に対して、預金今回のT銀の場合、十一月十七日に日銀特融として六千億円が投入されたが、T銀自身が公表している「公表不良債権額」は九七年三月末で約九千三百億円。
市場の推定では最大で二兆円となる模様である。
市場では今回のT銀のような場合、狭義の公的資金である財政資金を使うべきだとの声が強い。
それはこの日銀特融も財政資金も公的資金には違いないが、日銀特融はあくまでた。
者保護のために日銀が日銀法二十五条に基づき無担保で拠出する特別融資制度のことである。
一九五六年の証券不況の際、Y証券に実施したのが最初である。
最近では経営破綻した阪和銀行などに実施されたが、あくまでも預金者保護のために一時的に金融機関の資金繰りを〃つなぐ〃役割のものであり、損失の穴埋めには充てられないと解釈されている。
一方、公的資金は狭義には「国が支出する財政資金」を指す。
しかし広義には「日銀特融」「日銀出資」「政府保証」「地方自治体による資金拠出」などを指すこともある。
これまで損失の穴埋めには「預金保険資金」「民間金融機関の低利融資」などが充てられてきも〃つなぎ資金〃である。
そして仮に日銀特融が返却されなかったとしても、それは「日銀納付金減少←一般会計税外収入の減少」という形で間接的な財政負担に結びつく。
したがって日銀特融は、「国民の目を欺くごまかしであり、明確な形で財政資金を投入する方が望ましい」とする意見が有力なのである。
海外における公的資金の導入の例に関しては図表6を参照して頂くとして、日本政府が金融システムの維持のために公的資金を導入するとの期待から週明け十七日の東京株式市場は全面高となった。
日経平均株価の終値は前週末比一二○○・八○円高の一万六一八・三一円と、七営業日振りに一万六○○○円台の大台を回復、上げ幅も九七年中最大で、歴代でも八位となるものであった。
それは日本が後日、その責任の所在に関して刑事事件となることを厭わない毅然としたスタンスをとることを前提として、T銀の倒産に対して公的資金、つまりは国民の税金を積極的に導入して腐りきった日本の金融メカニズムを再生させられるであろうと踏んだうえでの株価上昇であった。
しかしこれが単なる〃ぬか喜び〃であることは、勤労感謝の日を含む十一月一十三日からの連休中に、日本の証券大手のY証券の事実上の倒産が発表その創業百周年を迎え、日本の四大証券の一つに数えられるY証券が十一月二十四日、自主廃業を発表した。
表向きの理由としては、経営の先行き不安から顧客資産の流出が止まらず、資金繰りのメドが立たなくなり、ビッグバンを控えて会社の存続は困難と判断しY証券の前身は、一八九七年にK国三氏が東京株式取引所に仲買人の免許を受けて創業した「K国三商店」である。
したがって一九九七年は、創業百周年にあたる。
その後一九四三年にK証券との合併で現在の基盤がつくられた。
一九六五年の証券不況により経営危機に陥り、日銀から特別融資を受けるに至るが、六九年には完済している。
一般企業の売上高にあたる営業収益は一千八百億円(九七年三月期)で国内第四位。
九七年九月末現在の株主資本金は四千三百十億円。
預かり資産は九七年九月末現在で約一十四兆円。
Y証券は九一年三月期に株式売買手数料収入の減少などから経常損益が赤字に転落。
その後は一日一持ち直したが、九七年三月期には系列ノンバンク・Yファイナンス支援のとなっている。
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